シアトル鹿児島倶楽部 末次前会長のこと
かごしまKIZUNAプロジェクト東京事務局 櫟山和彦 寄稿 2020/1/1

末次前会長より新年のご挨拶
 
アメリカ、ワシントン州シアトル

  米国ワシントン州シアトル市は、西海岸北部に位置し、市の南にそびえる富士山に似た火山マウントレーニアが「タコマ富士」と呼ばれるほど日本人になじみの深い街です。
それは現地でも「グレート・ノーザン鉄道を父とし、日本郵船を母とする」の言葉で語り伝えられているように、この両社によって東洋貿易の中継地点として発展を遂げたといわれています。

マウントレーニア山

  シアトル鹿児島倶楽部 末次毅行前会長は、指宿市ご出身で、このシアトル他で和食店を営みかつ「和食の伝道師」として公私両面でご活躍され、また鹿児島県人会「シアトル鹿児島倶楽部」で理事5年、副会長5年を経て1988年に第13代会長に就任以来30年間、合計40年間倶楽部を運営されてこられました。
  このたび倶楽部会長を退かれましたが、そのご挨拶の中にこれまでの県人会、和食普及、産業振興など幅広い活動で得られた知見をご紹介いただきました。 まさに県人(会)として今後の活動の方向に示唆を与えるものと考え、その志をお伝えしたいと思い、いただいたご挨拶の一部を紹介させていただきます。

シアトル鹿児島倶楽部 末次毅行前会長

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  シアトル鹿児島倶楽部前会長の末次毅行と申します。この度は令和2年新年おめでとうございます。本年も皆様にとって楽しい一年となりますよう願っています。
  このたび、2019年3月の新年親睦会の席で田渕勝男氏がシアトル鹿児島倶楽部の次期会長に就任され、倶楽部の運営を継承して戴く事に成りました。非常に健康的ですし、柔軟なお考えを持って居られますので引き続きよろしくお願いいたします。
  さて、私は現在75歳ですが、また本職の日本食の普及にも携わっています。会長就任時はシアトルに当時あった8県人会では一番若い会長でしたが、全ての長老方が後押しして下さりました。この間、学歴も無い一介の板前其れも未熟者が、総理や駐日大使、日本の大物実業家、アメリカの富豪にお食事を提供させて戴き、日本にいては体験できないようなことを経験させていただきました。

我が家の庭に吉鳥雉が飛来 2017

  2018年 鹿児島県人世界大会に参加して
  2018年は東京に於いて三州倶楽部様主催の東京歓迎イベントでは大変お世話に成り皇居拝観、女将さんの会の歓迎昼食会、浅草寺拝観、全て至る所で‟お持て成しの心”が溢れるばかり、只小生の病み上がりで体調不十分で皆様方の御好意を受けきれない処が在りました事、平にお許しください。
  然し全身を振り絞って、「動画」を28本、「写真」約3000枚はパソコンに収納致し1年間経っても整理出来て居ません。東京の歓迎会や鹿児島県人世界大会や故郷指宿の同窓生の歓迎会は健康に配慮して医者まで待機して居りましたが、余興の時は同窓生の中に詩吟を吟じる先生が居ましたので昔シアトルで習った事が有り、何とか詩吟の‟大西郷”を吟詠できました。 ‟大西郷”は‟兵児の詩”より難しい詩吟と言われ、吟替わり(吟変)の所は振える身体と後ろに倒れそうに、朦朧とする身体で吟じ切り、同窓生に健在振りを発揮致しました。

東京ウエルカムイベント2018

  又あの城山ホテルから眺めた雄大な桜島そして、「命も要らぬ~名も要らぬ~」と詠った文字は城山ホテル玄関に大きなパネルにして有り、地元ならではの感極まりなく立ち尽くしました。終焉の地、城山の”豪”‟洞窟”を拝観して感涙した身には二日後の長崎鼻の長い坂を登りながら息せき切って吟じました、其の夜の同窓会の宴は40余名、病身の身乍ら今を外したら何時、詠う時が有ろうかと思ったら、詠わずには居れませんでした。

城山にて 2018

  シアトル鹿児島倶楽部のこと
  私が30年前会長職をお引き受けたさせて戴いた時は第二次世界大戦で日系収容所(3~4箇所のキャンプ)に強制収容された方々が殆どご存命で、其の後の役員交代の為記録が途絶えて居りました。
  創立100周年記念(2007年5月)に18カ月間の過去・現在のカレンダーを自費作製するにあたり、皆さんから拝借した数少ない貴重な写真を登載致しました。 パソコンを始めた時期に難しいカレンダー作りは悪戦苦闘、誰の手も借りずに、キチガイに成るのではないかと周囲が想う程でした。 後で考えると大先輩の霊が後押しして下さったお陰と思わずには居れない奇跡でした。
nbsp; 私は倶楽部諸兄の祖父母やご両親を知る一人に成り四季折々の各墓所への墓参や我が家にて朝夕の供養を仏前で行い、日々の暦の上で誰それさんの命日を知り、時には電話で「今日はお父様の命日ですね」とお知らせする事も日課に成りました。昨今「絆・絆」と言われますが、我がシアトル鹿児島県人倶楽部は創立当時から睦合って其の‟絆”が脈々と結ばれてきた歴史が御座います。

  又職業柄日本人の板前で有りながら、1980年から全米司厨士協会・会員になり2001年には当時40年の歴史を誇る全米司厨士協会で日本人で唯一名誉アメリカン・アカデミー・シェフの称号を戴き、2000年には日本調理師連合会から師範の称号を得ました。
  2016年には日本農林水産省より和食普及親善大使(日本を除く世界で9名、アメリカで3名中に選ばれた)板前として非常に名誉な事で、今年は第二回目の和食普及親善大使数十名が任命されました。 この様にして世界で真の食文化が紹介されて行く昨今、まだまだ未熟な小生は己に叱咤・激励する日々です。   日常は米国連邦政府直轄のコロンビア・ベイソン・ジャブコーポ(職業訓練所(17歳~20歳))の料理学科で日本料理を教えて居ます。

コロンビア・ベイソン・ジャブコーポ

  鹿児島県・日本との懸け橋
    シアトル鹿児島倶楽部代表で有り乍ら、社会福祉に寄与し、多くの場所で講演を行う事から、シアトルで他県の農林水産物のプロジェクト拡大に一鹿児島県出身者なのに他県の特産品紹介や創作料理の面から援助・寄与出来ました事は無上の喜びで御座いました。「此れが鹿児島県の特産物だったらな〜もっと誇り高く思えるのにな〜」と幾度となく思う事でした。
  過去に幾人かの政府関係者が「末次さん鹿児島県の物産展はシアトルで開催しないのですか?」と聞かれた事が有ります。 其の度に「如何でしょうかね〜、南米ブラジルや東南アジアへの進出が距離的、物流の運搬に向いているのでしょう。 県の政策でしょう〜」と言葉を濁す有様でした。
然し乍ら先人のたゆまぬ努力と、将来への投資で徐々に日本食文化の波に依って、世界中が日本食は健康食で、美味しく、美しく、エネルギー源に成る事を認めて居ります事は、母県も含め世界各国で、大変ご苦労をされて続けられた事が、この様な発展に実を結んでいるので御座いましょう。 消費者の一人として有り難く、誇らしい事で御座います。  兵庫・和歌山・愛媛・三重・青森各県は頻繁に県知事以下総出で物産展を、此処シアトルで盛大に開催して居ります。
    又此れまで日本からの青森県、兵庫県、愛媛県、和歌山県、三重県伊賀牛、三重県紀北町等の県特産品物産展の依頼を受けて総領事館公邸や西海岸随一の日本食品店宇和島屋別館「なごみ・茶室」やシアトルセントラル・カレッジ、サウスシアトル・コミュニティー・キャンパスで創作料理の講演を行い、盛況裡に終了して居ります。
只心寂しい事は母県鹿児島は鹿児島県、商工会議所とも東南アジア、南米(ブラジル)の方が進出し易いと御考えの様で大変寂しい気がしました。今やシアトルは太平洋岸北西部最大の都市で移民に優しい国際都市でもあります。 昨年の世界大会ではそのようなお話をする機会がなく帰米致しました。

和歌山県展示会

  シアトルに住んで
    私の住む此処モーゼスレイクは広大な農地にヘイ(牧草)が春先、菜の花(オイル)、其の後は麦やトウモロコシなど二毛作が出来ます。ワシントン州の南東には広大な麦の穀倉地帯が広がり、酪農も出来ます、当地の商工会議所は愛知県からの誘致に懸命で県知事以下商工会議所も頻繁に訪れて居ます。
  素人ながら、安い税金、電気・水道が豊富、賃金はワシントン州の平均賃金より安い、土地が安く肥沃である、などの利点を活用して、鰹工場や薩摩芋生産や焼酎製造など鹿児島の技術を導入できるのであればお手伝いできるのになどと考えています。

  モーゼスレイクの南東に150キロにヤキマ市街(昔は日本人移民が多く住み)は、リンゴの一大産地となっています。140年前ヤキマから日本にデリーシャスアプルが最初に輸出されていましたが、今では逆に日本から富士アプル等の品種改良された物が植えられ全米で販売されて居ります。 又北東へ150キロ程度距離のコロンビア河畔のボナーチ市近郊は葡萄とリンゴの一大産地で、ワイナリーも数多く有り、今ではカリフォルニア・ワインを凌ぐほどです。
  一方、モーゼスレイクのグラント・カウンティー飛行場は全米で有数の広さの飛行場で、只今は一般の航空会社は乗り入れて居ませんが、昔はJAL(日本航空)が40年間此処で飛行訓練を行い、現在は三菱航空機MRJの試験飛行の基地です。 日本からの企業も薬品工場、日本郵船、日本化学などが進出して居ります。
  鹿児島県の商工会議所の方もワシントン州の牧草や果樹園地帯、麦等の穀物大農耕地帯での薩摩芋の生産・焼酎の製造の可能性や肥沃な土地の調査されることがありましたらお手伝いさせていただきます。

  絆、シアトルでの生活を想う
    25年前、小生は以前NHK放送の「桜島と私」に依頼され写真と寄稿を致し放映された事が有り録音テープDVDを戴いたのですが、移転の時紛失いたしました。
  其れは兎も角として、小生は日本を1966年、僅か22歳で飛び出し海外にて50有余年生活をして、其の間レストランを40年間営業悪戦苦闘で50席の中型レストラン2軒、200席以上の大型レストラン2軒、ファーストフード店1軒と全てを自分の自身の贅沢三昧で失いましたが、小生の交際範囲とコミュニティー活動、食に携わる体験談などの貴重な体験だけが財産に成って居ます。

  日本で生活した期間は短いながら帰国の際は、南は長崎鼻指宿唐船狭そうめん流し、吟松旅館の温泉利用の料理から北は稚内の‟毛ガニ”宗谷岬及ばず伊豆下田、富山県、石川金沢、鳥取米子、島根松江、奈良(大和三山、明日香村、室生寺大野・古寺散策)・京都(鞍馬奥の院、高山寺石水院、大原の里)など食の旅は逐一記録に残して枚挙に暇が御座いません。
駅弁や高級料亭、通津浦々の旅、自動車でアメリカ横断2回、ヨーロッパ食べ歩き、メキシコの食べ歩き旅、マルセイユ~スエズ運河、インド、タイ、セイロン、フィリッピン、香港、横浜港への40日間の船旅、200回を超える各大学や各コミュニティーでの料理のデモストレーション資料は自叙伝とした記載、今日数多くの記念と成って居ります
  私が社会に還元できます事は、職業柄、3世、4世へ日本料理・文化の伝承とでも申しましょうか「おばあちゃんの味」とでも題して、簡単で美しく、解り易く、手軽な料理を10歳〜60歳まで老いも若きも、和気藹々とした料理教室を鹿児島倶楽部のみでなく、私が生きて居るうちに、各県人会にも呼び掛けて実現したいものです。
  私と女房は長年、日日を決めずに春夏秋冬霊園回りをして参りました、シアトル近郊に6カ所の霊園が御座います。訪れる人も無く静かに眠る方々を訪ねるのですが、此れを鹿児島県人倶楽部の有志だけでも始めてみようかと思う昨今です。 以前シアトル日系人会及びシアトル日本語学校の役員を致しました頃、指宿ロータリー・クラブにホームステイの生徒2名が大変お世話に成りましたが、その様なプログラムが有ればご紹介ください。
  また、母県からシアトルでの物産展開催及び商工会議所からのワシントン州シアトル市・モーゼスレイク市・ヤキマ市を含む訪米使節団のご計画がお有りでしたら是非お声をかけてください。会長を退いた小生ですがご協力は惜しみません。
此処モーゼスレイクは気温は零下を下回り、越冬に来たカナディアン・ギース(大型鴨)の大群が朝夕大空を舞い湖面に着水する姿が見える昨今、湖はこれをお読みいただくころには氷結する事でしょう。季節柄ご自愛ください。

第13代シアトル鹿児島倶楽部 会長 末次毅彦

カナダ鴨の群舞(モーゼスレイク自宅近く)

末次毅行氏ご寄贈のアーカイブ(一部)

農林水産省へのリポート<其の一> 20010628指宿市市民研修の翼
農林水産省へのリポート<其の二> 2002訪日WACS京都国際会議場
農林水産省へのリポート<其の三> 20020905青森物産展来訪
農林水産省へのリポート<其の四> 2004JAN日系人持ち寄りお正月料理
農林水産省へのリポート<其の五> 20040806志布志町長訪問
農林水産省へのリポート<其の六> 20040810鹿児島県国際交流課を訪ねて
農林水産省へのリポート<其の七> 20040815志布志「千軒太鼓」訪問
農林水産省へのリポート<其の八> 20090912べラビュー秋祭り、自顕流保存会
農林水産省へのリポート<其の九> 20090913自顕流歓迎会&ピクニック
農林水産省へのリポート<其の十> 20171104紀北町産業物産展講演デモ資料
農林水産省へのリポート<其の十一> 20130105シアトル日系人会&日本語学校お正月
農林水産省へのリポート<其の十二> 2014倶楽部新年宴会&敬老会
農林水産省へのリポート<其の十三> 20130829兵庫県庁及び物産展との関わり
2014倶楽部&三重県、兵庫県物産展 2014倶楽部の活動
20140825三重県伊賀牛公邸レセプション 2015青森物産展 山芋料理素案
20150422和歌山県経済コミッション、シアトル訪問団 20191110日本食文化教養講座&講演
20190324倶楽部創立112年祝賀会