かごしまKIZUNAプロジェクトイン東京

Posted 17 Feb.,2019

◇北カリフォルニア鹿児島県人会 KANC便り◇

pc sp

 皆様、昨年は10月31日に盛大な東京ウェルカムイベントを開催していただき、北カリフォルニア鹿児島県人会一同、心から御礼申し上げます。
 私たちが住む米国カリフォルニア州の北部にあるサンフランシスコ・ベイエリアは、1860年に日米修好通商条約の批准書を交換するために、咸臨丸が米国船ポーハタン号の随伴船として渡米以来、日米友好の発祥の地となっています。
当時の新聞には1面に盛大な歓迎パレードの写真記事が掲載されており、日米の歴史は友好の絆でスタートしたことが記録されています。また1871年には岩倉使節団がサンフランシスコに入港し。使節団一行には大久保利通、村田新八などの薩摩藩出身者が随行しました。

北カリフォルニア地域と鹿児島の繋がりは古く、鹿児島県人の足跡は長澤鼎(薩摩藩英国留学生の一人)が1875年にソノマ郡サンタローザでブドウ園経営を開始したことに遡ります。長澤鼎は1865年に英国に留学しましたが、1867年に米国のニューヨーク州ブルックリンに移住し、キリスト教系新興宗教団体のBrotherhood of the New Lifeにてブドウ栽培を始め、1875年にブドウ栽培に適したサンタローザ市に移住しました。
1848年に現在の州都であるサクラメント近郊で金が発見され、翌1849年にはゴールドラッシュが起き、多くの人々が北カリフォルニアに入植してきました。これがきっかけでナパ郡やソノマ郡のワイン生産も拡大しました。
(写真はカリフォルニア州サンタローザ市の自宅前に立つ長澤鼎翁

長澤鼎のファウンテン・グローブ・ワインは、カリフォルニアから最初に英国に出荷されたワインで、ヨーロッパでも好評を得ます。現在ではサンタローザ市役所の議事堂に長澤鼎の胸像が展示されていますが、2007年7月28日にサンタローザ市にナガサワ・コミュニティー・パークが開園し、地元の人々から長澤に対する尊敬と親しみをもって大切にされています。)

当地では産学連携が盛んでスタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレー校、カリフォルニア大学サンフランシスコ校だけでも約100名のノーベル賞受賞者を輩出しています。学術だけではなく産業界でも半導体、コンピュータ、インターネット、バイオ、エネルギー、電気自動車、人工知能などのイノベーション技術が、多くのベンチャー企業から生まれている地域で、日系企業や日本人留学生も多くいます。
 1870年に米国で最初の日本国領事館がサンフランシスコに開設され、1890年にはサンノゼ日本人町が、1906年にはサンフランシスコ日本人町ができました。それぞれの日本人町では、毎年盛大な桜祭りやお盆祭りなどが開催されています。記録によれば、1895年に北加鹿児島県人会の南加支部が設置されていることから、同年以前に北加鹿児島県人会が発足したことが推測されます。

 第二次世界大戦が始まり、1942年にはカリフォルニア州など西海岸に住んでいた約12万人の日系人に対する強制収容が実施され、1945年の終戦まで収容所生活を強いられました。1951年には当地にてサンフランシスコ平和条約及び日米安全保障条約が締結され、戦後の日本の主権が回復されました。 1924年の排日移民法により日本人の米国移民は禁止されていましたが、串木野市の市会議員であった内田善一朗氏は、日系アメリカ人市民協会のマイク正岡氏が中心となり米国議会へ働きかけていた「米国難民救済法」の日系人への適用を、鹿児島県にも適用してもらい、日本全体で約1,000名の移民枠の内、1955年から1956年にかけて333名を鹿児島から移民させることに成功しました。その後も多くの移住希望者のために短期農業研修生として、日米両国政府間で「派米農業労務者制度」を作ってもらい、1957年から1964年までの間に日本から4,100名、鹿児島から544名が渡米しています。その後1957年から1958年には「難民移民家族呼寄法」により1,230名の留守家族も渡米しました。

 特にサリナスとワトソンビルに移住した人々は。北米最大の花卉栽培産業を興し、その真面目な働きぶりと地域への貢献により、戦後の反日感情が強かったサリナスの人々の心を、友好の感情へと変化させました。その後1979年5月に串木野市とサリナス市は姉妹都市契約を締結し、相互交流を通じて鹿児島と米国の絆を一層深めています。 戦後、北カリフォルニアには「桑湾鹿児島県人会」、「沿岸鹿児島県人会」(サリナス地区、ワトソンビル地区、サンタクララ地区、オークランド地区、サンマテオ地区等)が存在しており、2006 年1月モントレー市にて鹿児島県北米移住者協会50周年記念大会が開催され、全米及び日本から500名ほどが参加しました。2004年12月には鹿児島大学初の海外拠点であるシリコンバレーオフィス(現北米教育研究センター)が設置され、多くの学生たちが当地で海外研修を受けています。

しかし、近年では各県人会活動も参加者の高齢化に伴い停滞していることが多くなっています。一方で、日本とカリフォルニア州の関係はかつてないほど緊密になっており、その分野も経済、文化、教育など広範となっています。そこで、県人会といった当地での人的な繋がりを通じた交流が鹿児島とカリフォルニア州、ひいては日米友好関係の一層の強化になるとの思いから、有志により2017年11月19日に北カリフォルニア鹿児島県人会(KANC)の発足式が開催されました。
(写真は2017年11月19日 KANC発足式より(サンタクララにて約40名が参加)) 毎年5月にはカリフォルニアの青い空の下でピクニックを開催し、1月には年次総会を開催していますが、毎回40名ほどの参加者があります。今後は他の県人会とも協力しながら、日米の友好の絆を益々発展させていければと願っています。

2019年1月26日 KANC新年会・総会(サンタクララ)